沖縄戦に動員されたひめゆり学徒隊の生存者の証言を1994年から2006年まで13年にわたって取材してまとめたドキュメンタリー映画「ひめゆり」(プロダクション・エイシア製作、監督・柴田昌平)を観てきました。

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生存者の証言を基にしたドキュメンタリー映画で、生存者22人が出演し、ひめゆり学徒らが沖縄陸軍病院に動員された45年3月から5月25日の南部撤退、6月18日の解散命令とその後の南部での彷徨(ほうこう)の様子を、生存した「おばあ」の言葉で語られています。
当時15歳から19歳の女学生の純真な心の動きを思うと、とてもつらくなります。
寝る間もない激務の中で、彼女たちは手術で切り落とした手足を運ぶことにも、死体を埋葬もせず壕の外に放り出すことにも慣れていく。家族を思い出すこともなく自分に与えられた職務を全うします。つらくても友を信じ、「日本国」を信じ、友のために、国のために、激しい戦場に身をおいた彼女たち。

「おばあ」の言葉なのですが、私には実際の映像のように、いいえそれ以上に頭と心になんとも重く、深い部分に当時の様子が伝わってきました。
当時の実際の映像は少ないのですが、その情景がはっきりと見えたように思います。
今、「ひめゆり」生存者は80代。映画の証言者の方で亡くなった方もいらっしゃるそうです。またその一方で「いまだ手記や証言などを残していない人は20人」という字幕が最後に流れていました。壮絶すぎる記憶です。無理もないことです。
cocoの「わすれたいことを話してくれてありがとう」「忘れちゃいけないことを話してくれてありがとう」というメッセージがとても印象的でしたが、私も心からそう思えました。

こうやって私達へ伝えてくれるまでには、多くの葛藤があったこととと察します。
そして、この「言葉」と共に体験されたこと、感じたことを話されている姿は、私達に多くのことを伝えてくれます。
戦争の記録や資料はたくさんありますが、ひめゆり学徒だった「おばあ」たちが、体験を語るこのフィルムはとても貴重なもの。
その姿から、「どんな思いで暮らしてきたのか」「亡くなった友達にどんな思いを抱いて暮らしてきたのか」が痛いほど伝わってくるのです。
「戦争の記憶」を受け継ぐということはとても難しいと感じましたが、今そして未来へつながる大事な記憶。未来を創る子どもたちへもつなげていかなければと思いました。

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当日は、柴田昌平監督もいらっしゃって、「ひめゆり」の制作についての想いなどをお話くださいました。
柴田監督だから作ることのできた映画ですね。すばらしい作品をありがとうございました。

「知らなかったよ。日本でこんなことがおきていたなんて。難しかったけど、自分の住んでいる国で戦争があって、レンジャー(ガールスカウトの階級)と同じ年のお姉さんが戦争にまきこまれて、友達が死んで。今の時代は幸せなんだね」・・・難しい映画でしたが、小学5年生の娘が見終わった時にそういいました。そうなんだよね、日本で起きた戦争なのよね。それだけでも覚えていてくれるといいなと思いました。
(柴田監督と話す機会があったのに、感想を伝えられず、握手だけしてもらったことが残念だと話す娘。お手紙にしてぷらっとほーむへとどけるそうです)

 

「ひめゆり」の映画を薦めてくれた、親子で話せる機会を作ってくれた、ぷらっとほーむの松井愛さん、どうもありがとうございました。

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この度は、私たちの企画した
『ひめゆり』上映会へお越しいただき
誠にありがとうございました!
上映会を通して、たくさんの方とつながれました。
このつながりを大切に、活動を進めていきたいです。
来週の「『ひめゆり』について語る会」は
貴団体のスペースをお借りしての開催です。
ぜひご参加くださいませ!
取り急ぎお礼まで。ありがとうございました!

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